いもむしパン
――あら、こんなところにパン屋さんが。
目の前には茶色いバスケット。甘いパンの香りがほんのりと漂う。
柔らかな日差しが心地よい昼下がり、いわゆる「移動式パン屋さん」が店を広げていた。
ただ、いまは平日の真昼間。この辺りを歩く人はまばらで、言うまでもなく、ここにいるのは私一人。
ここのご主人なのか、おじいさんが一人、満面の笑みで私を見つめている。……無言の圧力というものは、時に予想外の出費を生むようだ。
苦笑いをしながら、バスケットの中を覗き込むと。
『いもむしパン おいしいよ』
と、書かれていた。
――いもむし……?
え、と間抜けな声が漏れた。
いもむしパン、当然のことだが、聞いたことも見たこともない。
思わずおじいさんの顔を見ると、満面の笑みのまま、おじいさんは嬉しそうに頷いた。
よく見ると、バスケットの中は全部いもむしパンだった。
――見た目、普通っぽいけどなあ……。
どちらかと言えばシフォンケーキに近い。バナナクリーム色の淡い生地が、優しく気泡を織り混ぜつつ、甘い香りを放っている。しっとり、ふんわり。
なんだか、おいしそうに見えてきた。
――買って……みようかな……、
そろそろと、ためらいがちに、いもむしパンに手を伸ばす。
ああ、このまま私は、この得体の知れないパンを買ってしまうんだろうな――。そんな理性は、甘い香りにさらわれてあっさりと消えていった。
するとまさにそのとき、どこから飛んできたのか、一枚の木の葉が足元に落ちた。
青々としたみずみずしい葉。青汁にしたら良さそうだなんて、無意識のうちに考えてしまった。
ただ、残念なことに大穴が開いている。葉を食べるといえば、……いもむし。
その瞬間、私は手を引っ込めた。
――……危ないところだったー。
仮にもこのパンは、『いもむしパン』なのだ。
ふう、と安堵したものの、一度刺激された好奇心は収まらない。気になるものは、気になる。
ここは一つ、腹をくくって買ってみるべきか否か。いや、それはリスクが大きい。でも、この機会を逃したら二度と手に入らないかもしれない。
ああでもないこうでもないと考えているうちに、おじいさんが店を閉め始めた。
――いもむしパンが!
迷っている暇はない。いまこそ、決断の時。
その日のおやつに、『芋蒸しパン』はおいしくお腹に収まったのだった。
