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第一章 動き出す物語
1.悪魔と呼ばれた男

 隙間風の吹く小屋の中の真ん中で、この部屋の住人であろう老婆が一人とまだ小さな子どもたちが二人、身を寄せ合うようにして震えていた。そしてこの貧相な部屋とは対照的に、身なりの整った金髪碧眼の男が老婆たちを無言で見下ろしている。それから男は老婆たちに何をするでもなく、無言で部屋をぐるりと見渡すと、慣れた手つきであらゆる家財道具を外へと運び始めた。 「ま、まってくだされ……これ以上はどうか、どうかお許しを……!」  老婆の必死の懇願にも顔色一つ変えることなく、男は老婆を無視して淡々と作業を続けた。元々数えるほどしか物がなかった部屋は、あっという間に天井と壁と床だけの空間となる。最後の一つ、隠すように置いてあった小さな木箱を男が持ち出そうとしたとき、老婆がとうとう男の足に縋りついた。 「お願いします!お願いします!それだけは!今は亡き夫の大切な形見なのです、どうか……」  異様な雰囲気に耐えられなくなったのか、それまで息を潜めていた子どもたちが啜り泣き始めた。それでも男は一切の感情を露わにせず老婆を振り払う。そして冷たい視線を向けたまま、静かに口を開いた。 「ここにある物は全て持っていけと言われているのでな。例外は認めん。家をとられないだけマシと思え」  泣き叫ぶ子どもたち。呆然と立ち尽くす老婆。そんな様子にも全く動じることなく、男は木箱を持ったまま踵を返すと部屋を出て行こうとした。 「この、人でなし……悪魔め!!」  喉を引きちぎるような怨嗟の声を背中に浴びながら、男は後ろ手に扉を閉めて、夕暮れに染まりかけている空を仰いだ。 「ああそうだ。俺は金のためなら悪魔にだってなれる。何とでも言え」  誰に言うまでもなくぽつりとこぼれ落ちた言の葉が、柔らかな夕日の中に溶けていった。  これは、冷徹な傭兵の男――リュカの物語。  今日の仕事を全て片付けた後、リュカは沈みゆく夕日を追いかけるように西へと歩いていった。我が家に帰るためだ。美しい丘陵地帯を超えた先には海があり、浜辺を囲むようにして小さな漁村がある。そこがリュカの故郷だった。  村に辿り着いた頃にはとっくに夜が更けていて、村人たちは皆寝静まっているものとみえた。誰もいない浜辺を抜けていく。黒い海が穏やかに波を打つ音が聞こえ、時折心地良い潮風がリュカの頬を撫でていった。何度となく見た変わらない様相に安堵しながら、リュカはそっと自宅のドアを開けた。 「ただいま」  深夜なので当然返事はない。リュカはなるべく音を立てないように荷物を床へ下ろしてから、先に寝ているであろう妹の顔を見ようと寝室へ向かった。 「わっ!!」 「なっ、なんだ!?」  突然柱の影からリュカと同じ金髪の少女が顔を覗かせて、そのままリュカの胸に飛び込んできた。リュカは初めぎょっとして、しかし無邪気に笑う少女の顔を見て柔らかく目を細めた。妹は時々、こういう可愛らしい悪戯をするのだ。 「起きていたのか。まったく、驚かせるんじゃないぞ」 「えへへ。おかえり、おにいちゃん!」  絹糸のような金髪を掬って優しく撫でてやれば、妹は人懐こい猫のように安心しきった表情で、時折くすぐったそうに肩を揺らした。体格の良い成人男性のリュカに比べれば、華奢な妹の体は半分くらいの薄さしかない。軽すぎて少し力を込めれば簡単に折れてしまいそうで、リュカは顔を曇らせた。  というのも、今でこそ元気にはしゃいでいる妹だが、数年前から重い病を患っていた。医者は薬さえ飲んでいれば死ぬことはないと言ったが、逆に言えば薬がなければ命に関わるということでもある。なので定期的に薬を手に入れるしかないのだが、その薬というのがとんでもなく高価だった。両親は流行病で既に他界しており、他に頼れる親族もいない。ならば、リュカがなんとかして稼いでくる以外の選択肢はなかった。 (金さえあれば、俺たちは生きていける……)  悪魔め、と呪詛をぶつけてきた老婆のことを思い出す。否定はしない。生活苦に陥る辛さを誰よりも知っていながら、自分とそう遠くない状況の彼らにトドメを刺してきたのだから。心が傷まないといえば嘘になるが、いつからかリュカは心を無にすることを覚えた。罵倒されようが石を投げつけられようが、大切な人を守れるのならそれで構わない。そうでもして割り切らなければ傭兵は務まらなかった。 「さ、いつまでも夜更かししていては体に障る。そろそろ寝なさい」 「はぁい。おやすみ、おにいちゃん」 「おやすみ」  我が家で妹と過ごしているときだけ、リュカは優しい兄でいられる。リュカが普段どんな仕事をしているのか、妹は知らない。  穏やかに寝息を立て始めた妹の頬にそっと触れると、確かな温もりが伝わってくる。愛しい寝顔を目に焼き付けてから、リュカは別室で剣の手入れを始めた。明日の任務はおそらく一筋縄ではいかないだろうから、念入りに。窓から差し込む月明かりに照らされて、銀色の刀身が冷たく輝きを放った。

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